2010/10/19(Tue)
仏教考察は少しお休みさせて頂いております・・

さて、松本史朗氏の「批判宗学」・「批判仏教学」・「如来蔵(仏性)思想批判」の視座につきまして、これまで私なりに考察して参りました。もちろん、まだ まだこれからでございますが、現時点におきましては、『「批判的合理主義」・「空のニヒリズム主義」による「徹底した自己否定」・「絶対的一元論の否 定」・「絶対的存在・実在の否定」・「神秘主義の否定」・「盲目的信仰・崇拝の否定」・「密教の否定」・「呪術・マントラ・迷信の否定」といったものを挙 げることができる』と述べさせて頂いております。

松本氏の視座によりますと、チベット仏教を教学的に大成し、ゲルク派を開基したツォンカパ論師の思想につきましても、最終的には如来蔵思想を脱却できずにやがて密教へと傾注してゆくこととなったことを論著内において批判的に述べられています。

つまり、チベット最大の宗派としてその後発展していったゲルク派が奉じている「密教」的な教義におけるところも当然に松本氏にとっては、批判対象となるわけであります。

もちろん、顕密仏教・体制で強固に成り立っている現代チベット仏教において、密教的要素を完全に取り除くことは恐らくほぼ不可能でありますでしょう。

ただ、このあたりのところで、現在のゲルク派の最高指導者であるダライ・ラマ14世師が、カルト・セクト主義色の強いとされる「シュクデン」崇拝を禁止するに至った経緯は、チベット仏教史上においても非常に重大な出来事であると言えるでしょう。

しかしながら、ダライ・ラマ14世師が、禁令したものの、「シュクデン」崇拝はチベット仏教内において相当な影響力を占めており、無くなるどころではな く、信奉者はゲルク派内でも圧倒的な多数を占めているとされ、また、「ニュー・カダンパ・トラディション」といった、チベット仏教から独立した国際宗教団 体が活動を広げているなど、今後も「シュクデン」崇拝問題は、どのように展開していくのかは、非常に注視の必要があります。

「シュクデン」崇拝問題は、チベット仏教の今後、ダライ・ラマ14世師の活動の今後の展開においても、まさに「アキレス腱」になりかねないといったところではないかと恐れ多くも察する次第でございます。

とにかく、松本氏の視座から考えますと、現在に至るまでのチベット仏教の様々な歴史的経緯を察するに、純粋な顕教における「中観思想」の理解だけでは留まらず、「密教」を受容していったことは、「ある意味で残念至極であった」ということになりますでしょうか・・

私が仏教考察を少しお休みさせて頂いておりますのも、ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意欲がやや減退してきてしまっていることも少なからず影響しています・・もちろん、松本氏の論著の学びを進めていくことで、ある種の失望は自身も予測していたことではありますが・・

最後に「チベット仏教哲学・松本史朗著・大蔵出版」の第10章「ツォンカパと離辺中観説」p390から、以下の文章を抜粋しておきます・・

抜粋開始・・

「ツォンカパが、"最高の実在は不可説であるから、一切の言葉・分別・判断・主張はもっぱら否定されなければならない"という実在論的仏教理解を根底から 否定したことの意義は、革命的なものと言えようが、"縁起"("世俗有の主張")か、"空"("勝義無の主張")かを二者択一的に問うたとき、ツォンカパ の議論の力点が後者に置かれていたことは否定すべくもないであろう。ツォンカパが、"仏教には主張がある"と力説したことは、仏教を明確な"哲学"として 確立しようとしたことを意味する。しかし、そのツォンカパにとっての仏教の"主張""哲学"が、"縁起"ではなくて"空"という否定的なものであったとい うことが、彼の思想から深刻さを奪い、結果的には"縁起"とは全く矛盾する"dha(_)tu-va(_)da"にもとづく密教を自ら許容する余地を生じ ることになったのである。」

・・抜粋ここまで。

・・

前回にダライ・ラマ14世師の属しておられるチベット仏教最大の宗派・ゲルク派における内部問題として、「シュクデン」崇拝問題を挙げさせて頂きました。

あまりご存じでない方も多いかと存じますので、「シュクデン」崇拝問題とはどういうものであるのかについてWikipediaに詳しく記載されておりますので、ご参照頂けましたらと思います。

「シュクデン」 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%83%87%E3%83%B3

・・

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html
2010/10/18(Mon)
仏教考察は少しお休みさせて頂いております・・

さて、松本史朗氏の「批判宗学」・「批判仏教学」・「如来蔵(仏性)思想批判」の視座の真なる狙いを捉えようとしている次第でございますが、その狙いの一 つとして考えられるのは、「盲目的・無批判的な信仰・崇拝・狂信・病的執着による様々な弊害の排除」というものがあるように存じております。

このことは、余談「批判的思考の必要性について・1」において、
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「・・例えば、宗教の場合は、特に神秘的・密教的・呪術的な要素を扱うことがあれば、それらはある意味では万人を納得させることが容易ではなく、証明のほ とんど効かないようなことを非合理的で曖昧な領域において展開されていくことがあります。そのため、宗教における神秘的・密教的・呪術的な行為というもの は、盲目的・無批判的な信仰・崇拝・狂信・病的執着を生み出しやすく、様々な弊害をもたらしてきたことは、過去にあまたの例があります。

また、宗教における神秘的・密教的・呪術的な行為は、その行き過ぎにより犯罪・詐欺的行為へと結びつく可能性も非常に高く、実際に問題になることも多々で あり、また、表面化してこないことで、潜在的に非常に曖昧なグレーゾーンの領域において受容・許容されていることもたくさんあります。・・」

と述べさせて頂きました。

そこで、このことを考えるうちに、中国によるチベット侵攻の前に、ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席とが会談した時のやり取りについて、どこか考えさせられるところが出て参りました。映画「クンドゥン」でも誠に印象に残る場面であります。

参照 児童小銃 http://d.hatena.ne.jp/rna/
『ダライ・ラマ自叙伝より: 毛沢東曰く「仏教はよい宗教」「しかし宗教は毒だ」』
http://d.hatena.ne.jp/rna/20080318/p2

『・・数日後、私は毛沢東から「一時間以内に会いに来る」というメッセージを受け取った。彼は、到着したとき、ただ単に訪問しただけだと言った。それか ら、何かのはずみに、「仏教はたしかによい宗教だ。釈尊はもとは王子であったが、人民の生活条件を向上させる問題に、多くの考えを払った方だ。また観音菩 薩は親切な心の女性だ」という意見を述べた。数分後に、彼は立ち去ったが、私はこれらの意見にすっかり当惑して、どう判断してよいのか分からなかっ た。・・』
『チベットわが祖国 ダライ・ラマ自叙伝』木村肥佐生訳 (1986) p137

『・・この非凡な人物と私の最後のインタビューは、私の中国訪問が終わりに近付いたころであった。私が全中国人民代表会議常任委員会の会議に出席していた とき、私は毛主席邸に行って、主席に会うようにと書かれたメッセージを受け取った。それまでに、私は中国各省の歴訪をすでに完了していたので、私は、彼に 「私が見たすべての開発工事に深い感銘を受け、興味を持った」と正直に話した。これに対し彼は、民主主義の真の形態について、私に長い講義をした上で、ど うやって、人民の指導者となるか、いかに彼らの提案に留意するかについて、私に忠告を与えた。それから彼は、椅子の上で、私の方ににじり寄り、「私はあな たをよく理解している。しかしもちろんのことだけど、宗教は毒だ。宗教は二つの欠点を持っている。まずそれは民族を次第に衰えさせる。第二に、それは国家 の進歩を妨げる。チベットとモンゴルは宗教によって毒されてきたのだ」と、低い声でささやいた。

私は、全く驚いた。このことは何を意味し、暗示しようとしているのか? 私は心を落ち着かせようとしたが、彼をどう理解すべきか、私には分からなかった。ただ彼が、宗教の手強い敵であることは、充分知っていた。それにもかかわ らず、彼は私に対して、本当に友好的で、親愛感にあふれているように見えた。これらの異常な意見を述べたのち、彼は、私と共に自動車の所まで歩き、「体に 気をつけなさい」と別れの言葉を告げた。・・』
『チベットわが祖国 ダライ・ラマ自叙伝』木村肥佐生訳 (1986) p138-139

上記に置ける「宗教は毒だ」という毛沢東の発言は、誠に有名であります。その理由としては、「民族の弱体を招くこと」、「国家の進歩を妨げること」という 二点が毛沢東の発言から直接に伺えます。チベットは近代化に乗り遅れている劣等の地方・民族であるという毛沢東の見方が、この発言と、やがて迫り来るチ ベット侵攻の動機とも言えますが、さて、ここで私が何を述べたいのか・・毛沢東がチベット侵攻をした真なる意図(領土拡大・植民地支配・資源奪取・対イン ド対策・対資本主義対策等)については、ひとまずここでは触れずにおいておくとしまして、毛沢東の「宗教は毒だ」という発言における「宗教の毒性」という ことについて少し考えてみたいと存じます。

ここで毛沢東が、毒に関して、宗教ともう一つの喩えを暗示していたというものが、実は「麻薬」、特に「アヘン」であります。列強の植民地支配にあえぎ苦し んでいた清国は、イギリスによるアヘンの流入により、更なる社会不安の増大を招き、やがてアヘンの輸入を禁止すると、イギリスとの間で戦争にまで至り、敗 北後、列強各国による植民地支配はますます酷くなり、いよいよ清国の崩壊も加速していくこととなります。

毛沢東は、アヘンという麻薬による弊害(毒性)によって国家が衰退へと大きく影響したことと、宗教における弊害(毒性)として時にある「盲目的・無批判的 な信仰・崇拝・狂信・病的執着」による影響とを、同様のものと見なして、「毒」として喩えて表現し、「宗教は毒だ」と嫌忌したのだと考えることができま す。

麻薬における弊害と、宗教において時にある「盲目的・無批判的な信仰・崇拝・狂信・病的執着」による弊害と、双方共通して言えることは、依存性・常習性・ 堕落性をもたらすことや、(人格の崩壊、暴力性・凶暴性などによる犯罪の誘発といったことでの)社会の治安の悪さの増大、不安定さの増大、更には労働意欲 の減退、離職者の急増、失業者の増加による経済への影響など、色々と挙げることができます。家庭崩壊もその一つと挙げてもいいかもしれません。

とにかく、毛沢東の「宗教は毒だ」という発言については、当時のチベットにおいて、仏教における「盲目的・無批判的な信仰・崇拝・狂信・病的執着」による 弊害が、どの程度見受けられていたのかということも考えておかなければいけないところでもあります。例えば、各宗派間の醜い権力(政治権力)争い、勢力争 いの状況や、または、神秘的・密教的・呪術的な側面の強さによって、どれほどに腐敗・堕落していたのか、といったことについてもしっかりと見極める必要が あります。

現在、ダライ・ラマ14世師の属しておられるチベット仏教最大の宗派・ゲルク派においても、長年にわたる他派との醜い勢力争い、政治権力争いの問題や、派内におけるシュクデン崇拝問題など、ややこしいところがあるのも事実であります。

何事も表だけで判断することなく、やはりその裏もしっかりと見極めていかないといけないという感じでもあります・・批判的思考の必要性を思うところであります。

・・

以前に、余談「批判的思考の必要性について・1」におきまして、松本史朗氏の批判的視座につきまして、簡単に述べさせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

少しだけその関連として、松本史朗氏の「批判宗学」・「批判仏教学」・「如来蔵(仏性)思想批判」の視座を私なりに簡単に今一度推察しますと、「批判的合 理主義」・「空のニヒリズム主義」による「徹底した自己否定」・「絶対的一元論の否定」・「絶対的存在・実在の否定」・「神秘主義の否定」・「盲目的信 仰・崇拝の否定」・「密教の否定」・「呪術・マントラ・迷信の否定」といったものを挙げることができるのではないだろうかと存じております。

その目的は、雑多な思想展開を経て変容してきた仏教において、上記の視座を通じて、余計なものを退けてゆくことによって、真なる純粋な仏教を抽出し、確立させていこうとしているものと考えます。

では、松本史朗氏の抽出し確立させようとしている真なる純粋な仏教とは何であるのか、それは、これまでの氏の論著集の中から、すでにいくつか挙げることができます。また、このことについても考察して参りたいと存じます。

・・

次回からは、前回の「サムイェーの宗論」の考察と関連しまして、龍樹(ナーガールジュナ)論師の中論の核心部分について、松本史朗氏の「禅思想の批判的研究・大蔵出版 」の第一章「禅思想の意義」を参考としまして考えて参りたいと思っております。

中論において、特に解釈が難解であるとされている中論「観法品」(第十八・第九偈)についての内容考察となります。

とにかく最近は、松本史朗氏の論著をかなり集中的に読み進めております。松本氏の「批判宗学」・「批判仏教学」・「如来蔵(仏性)思想批判」の真なる狙いが少しずつ分かり始めてきたところでございます。

とにかく粛々と一歩一歩です。

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html
2010/10/16(Sat)
仏教考察は少しお休みさせて頂いております・・

以前に、余談「批判的思考の必要性について・1」におきまして、松本史朗氏の批判的視座につきまして、簡単に述べさせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

少しだけその関連として、松本史朗氏の「批判宗学」・「批判仏教学」・「如来蔵(仏性)思想批判」の視座を私なりに簡単に今一度推察しますと、「批判的合 理主義」・「空のニヒリズム主義」による「徹底した自己否定」・「絶対的一元論の否定」・「絶対的存在・実在の否定」・「神秘主義の否定」・「盲目的信 仰・崇拝の否定」・「密教の否定」・「呪術・マントラ・迷信の否定」といったものを挙げることができるのではないだろうかと存じております。

その目的は、雑多な思想展開を経て変容してきた仏教において、上記の視座を通じて、余計なものを退けてゆくことによって、真なる純粋な仏教を抽出し、確立させていこうとしているものと考えます。

では、松本史朗氏の抽出し確立させようとしている真なる純粋な仏教とは何であるのか、それは、これまでの氏の論著集の中から、すでにいくつか挙げることができます。また、このことについても考察して参りたいと存じます。

・・

次回からは、前回の「サムイェーの宗論」の考察と関連しまして、龍樹(ナーガールジュナ)論師の中論の核心部分について、松本史朗氏の「禅思想の批判的研究・大蔵出版 」の第一章「禅思想の意義」を参考としまして考えて参りたいと思っております。

中論において、特に解釈が難解であるとされている中論「観法品」(第十八・第九偈)についての内容考察となります。

とにかく最近は、松本史朗氏の論著をかなり集中的に読み進めております。松本氏の「批判宗学」・「批判仏教学」・「如来蔵(仏性)思想批判」の真なる狙いが少しずつ分かり始めてきたところでございます。

とにかく粛々と一歩一歩です。

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
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「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

仏教・学びの進捗状況全般参照
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これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
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施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
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施本「佛の道」
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これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

2010/10/11(Mon)
「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・7

さて、今回も前回から引き続きまして、「サムイェーの宗論」につきまして考えて参りたいと存じます。

前回にも述べさせて頂きましたように「サムイェーの宗論」における論点と致しましては、「無分別知」(般若の智慧)へと至るための方法論の相違を挙げさせて頂きました。

では、「無分別知」ということについてはどうであるのかと言いますと、松本氏の「禅思想の批判的研究・大蔵出版 」の第一章「禅思想の意義」を参考と致しますと、「無分別知」そのものについては、両者共に認めているという点では一致しているということが理解できます。

実は、この「無分別知」というものが一体どういうものとして成り立っているのかということにおいては、非常に重要な問題が控えているところであります。

「無分別知」というのは、「あらゆるモノ・コトは、分別が無いというありよう」、つまり、「分かれていない、別れていない」ということを「知」、「知る」ということになります。

では、本当に「無分別知」ということはあり得るのでしょうか。ここは非常にある意味で無理のあるところで、私たちが、思考・思慮・思惟する限りにおいて は、必ず何らかを分別しなければならないため、当然に思考・思慮・思惟を否定しなければならなくなるという不都合が生じざるを得ないところであります。

そのため、「無分別知」というものが有るのだとして執着してしまうと、当然に「不思・不観」・「無念・無想」という「思考の停止」を説くに至るのは仕方の ない面もありまして、実は、摩訶衍論師と同様に、「無分別知」へと至るためには、カマラシーラ論師も最終的には「無念」・「無思惟」を認めているというと ころがあります。

つまり、カマラシーラ論師の「無分別知」と摩訶衍論師の「無分別知」では何が異なるのかと言えば、基本的には何らとして変わらないわけであります。それを 前者の「無分別知」は、「正しい無分別知」で、後者は「誤った無分別知」と言うのもおかしなことであり、至るところが同じとなれば、特に段階を設けなくて も、摩訶衍論師の「不思・不観」・「無念・無想」という「思考の停止」による修行方法でも特に問題はないこととなってしまいます。

また、カマラシーラ論師は、「無分別知」へと至るための段階として、「正しい分別知」・「正しい個別観察」というものの必要性を説いていますが、では、何 が基準として、どのようなことが「正しい分別知」・「正しい個別観察」であるのかということも実は問題として出てくるのであります。もちろん、このことを 考える上での基準の一つとしては、「空性の知」・「空性の洞察」というものが考えられていますが、「空性の知・空性の洞察」というのは、「あらゆるモノ・ コトは、空である」・「諸法は無自性である」というものとなるものの、それで、「無分別知」に至れるということもやや疑問が残るところであります。

つまり、「諸法は、空・無自性である」という分別知が、「無分別知」というのも無理があり、また、結局は、「無分別知」を悟るということは、「諸法は、 空・無自性である」ということを悟るということとなっても、それならば、その他の一切の仏説は全く必要のないものとなってしまうという不都合も生じてしま いかねません。

更には、「諸法は、空・無自性・無分別である」→「その主張も、空・無自性・無分別である」→「戯論寂滅・言語道断・不可説」→「不思・不観」・「無念・ 無想」→「思考の停止」→「無分別知」→「諸法は、空・無自性・無分別である」→「その主張も、空・無自性・無分別である」→・・・と循環論法に陥ってし まうことにもなってしまいかねません。そこで、最高の真理・最高の真実は、「無分別知」であるとして、この循環論法を停止させることになるわけです。

しかし、それは「無分別知」なるものを「最高の真理、最高の真実」として実体視して捉えようとしてしまうところへと容易に繋がってゆくことにもなってしまいます。

つまりは、「無分別なるもの」・「分かれていない、別れていないもの」・「あらゆるモノ・コトは、分別が無いというありようであるということ」というのは、単一の実在、最高の実在として捉えようとする一元論的な見方が働いてしまうこととなってしまいかねません。

それは、「無分別知」・「諸法無自性」というものによって、あらゆる問題を解決してしまうかのような錯覚へと陥ってゆき、仏教・仏説、更には仏教において 最も重要な教説である「縁起の理法」さえもが無力化されかねない懸念が生じてしまう弊害が出てきてしまうことになるのであります。

このような弊害は中観思想内においても見受けられたことで、「空」として本来はその実体視を否定されるべきである「無分別知」が、「最高の真理、最高の真 実」として肯定的に扱われ出してしまってくることによって、中観思想が自己矛盾を抱えて自己崩壊を招き、実在・実体化論へ傾斜してゆくことになってしまう のであります。

瑜伽行中観自立論証派であったカマラシーラ論師においても、「無分別知」を認めて、肯定的に実体・実在視して扱ってしまっているという限り、如来蔵思想の 影響は少ないながらも受けてしまっていると言えるため、摩訶衍論師とカマラシーラ論師の両者共にその論争の内容の根底を鑑みると、如来蔵思想の影響が、濃 いか薄いかという濃淡の違いでしかなく、真なる意味で、「如来蔵思想 VS 中観思想」と言えるのかどうかということは、実はかなり疑問符が付いてしまう のであります。

次回も引き続きまして、この問題を扱って参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

・・

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6

今回は、「サムイェーの宗論」につきまして、少し考えて参りたいと存じます。「サムイェーの宗論」とは、チベット・サムイェー寺において展開された中国の禅師・摩訶衍論師とインドの中観思想家・カマラシーラ論師との論争のことであります。

松本氏の論著におきましては、「サムイェーの宗論」への言及が随所に見受けられますように、如来蔵思想の問題を考える上で、「サムイェーの宗論」は、重要 な内容を持っており、中観思想と如来蔵思想の激突として、チベット仏教史上における一大宗教論争として重大な事件でありました。

摩訶衍論師は、中国禅宗の北宗派(神秀禅師を開祖とする派)の流れを汲む系統と位置づけられていますが、北宗派を激しく非難した神会禅師(南宗派・六祖慧 能禅師の弟子)の弟子であったともされ、北宗派の段階的に悟りを進める「漸悟禅」を主張する立場であったのか、それとも、南宗派の悟りへの段階を認めずに 悟りへの境地を目指す「頓悟禅」を主張する立場であったのか、定かではないところがありますが、「サムイェーの宗論」においては、「頓悟禅」の立場を主張 したとされています。

一方のカマラシーラ論師は、インド・ナーランダ僧院の高僧・シャーンタラクシタ論師の弟子であり、思想的立場は、「瑜伽行中観自立論証派」と位置づけられ ています。「瑜伽行中観自立論証派」は、唯識思想と中観思想とが思想的に統合して発展した派で、空の思想を基底に置きつつ、(一応、仮として認める)心 (識)の作用を、悟りへと向けていかにして調えていくべきであるのかについて考えていく立場であります。

「サムイェーの宗論」の大きな論点としましては、松本氏の「禅思想の批判的研究・大蔵出版 」の第一章「禅思想の意義」を参考と致しますと、「無分別知」(般若の智慧)ということをめぐり、摩訶衍論師は、「不思不観」・「無念無想」による「無分 別知」への即座の到達を主張し、カマラシーラ論師は、「正しい分別知」・「正しい個別観察」によって、段階的に「無分別知」への到達を目指すべきであると 主張したということが挙げられるのではないかと存じます。

少しまとめますと、摩訶衍論師の主張と致しましては、「不思不観」・「無念無想」→「無分別知」という流れとなり、カマラシーラ論師の主張と致しまして は、「正しい分別知」・「正しい個別観察」→「無分別知」という流れで、更に、「無分別知」→「空性の洞察」が必要であるとして、段階的な知の階梯を主張 します。

結果的には、摩訶衍論師の主張は退けられ、以後、チベット仏教においては、中観思想派の流れが優位となっていくわけですが、重要なことは、「サムイェーの 宗論」において完全に如来蔵思想の問題が払拭したというわけではなく、厳密に中観思想と如来蔵思想の激突と言えたのかどうかということについても疑問の余 地が残ってしまったところがあります。

次回も引き続きまして、「サムイェーの宗論」の意義に関しまして考えて参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

・・

仏教の学びの参考論著に、「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版を追加しました。


「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

仏教・学びの進捗状況全般参照
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集中的に再読していく論著集

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾

2010/10/09(Sat)
「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6

さて、今回は、「サムイェーの宗論」につきまして、少し考えて参りたいと存じます。「サムイェーの宗論」とは、チベット・サムイェー寺において展開された中国の禅師・摩訶衍論師とインドの中観思想家・カマラシーラ論師との論争のことであります。

松本氏の論著におきましては、「サムイェーの宗論」への言及が随所に見受けられますように、如来蔵思想の問題を考える上で、「サムイェーの宗論」は、重要 な内容を持っており、中観思想と如来蔵思想の激突として、チベット仏教史上における一大宗教論争として重大な事件でありました。

摩訶衍論師は、中国禅宗の北宗派(神秀禅師を開祖とする派)の流れを汲む系統と位置づけられていますが、北宗派を激しく非難した神会禅師(南宗派・六祖慧 能禅師の弟子)の弟子であったともされ、北宗派の段階的に悟りを進める「漸悟禅」を主張する立場であったのか、それとも、南宗派の悟りへの段階を認めずに 悟りへの境地を目指す「頓悟禅」を主張する立場であったのか、定かではないところがありますが、「サムイェーの宗論」においては、「頓悟禅」の立場を主張 したとされています。

一方のカマラシーラ論師は、インド・ナーランダ僧院の高僧・シャーンタラクシタ論師の弟子であり、思想的立場は、「瑜伽行中観自立論証派」と位置づけられ ています。「瑜伽行中観自立論証派」は、唯識思想と中観思想とが思想的に統合して発展した派で、空の思想を基底に置きつつ、(一応、仮として認める)心 (識)の作用を、悟りへと向けていかにして調えていくべきであるのかについて考えていく立場であります。

「サムイェーの宗論」の大きな論点としましては、松本氏の「禅思想の批判的研究・大蔵出版 」の第一章「禅思想の意義」を参考と致しますと、「無分別知」(般若の智慧)ということをめぐり、摩訶衍論師は、「不思不観」・「無念無想」による「無分 別知」への即座の到達を主張し、カマラシーラ論師は、「正しい分別知」・「正しい個別観察」によって、段階的に「無分別知」への到達を目指すべきであると 主張したということが挙げられるのではないかと存じます。

少しまとめますと、摩訶衍論師の主張と致しましては、「不思不観」・「無念無想」→「無分別知」という流れとなり、カマラシーラ論師の主張と致しまして は、「正しい分別知」・「正しい個別観察」→「無分別知」という流れで、更に、「無分別知」→「空性の洞察」が必要であるとして、段階的な知の階梯を主張 します。

結果的には、摩訶衍論師の主張は退けられ、以後、チベット仏教においては、中観思想派の流れが優位となっていくわけですが、重要なことは、「サムイェーの 宗論」において完全に如来蔵思想の問題が払拭したというわけではなく、厳密に中観思想と如来蔵思想の激突と言えたのかどうかということについても疑問の余 地が残ってしまったところがあります。

次回も引き続きまして、「サムイェーの宗論」の意義に関しまして考えて参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

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「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5

さて、今回は更に「仏性内在論」と「仏性顕在論」における問題点について考えて参りたいと存じます。

松本氏は、禅思想の本質をなす基本的論理には、人間の思考を一切の迷妄と苦しみの根源として根源悪と見なし、「思考の停止」を迷妄と苦の消滅の因として説くという考え方があると述べられています。

では、どうして人間の思考が、一切の迷妄と苦しみの根源であるという考え方が生じるのかということに関して、如来蔵(仏性)思想の「仏性内在論」と「仏性顕在論」における、迷いの方向と悟りの方向について松本氏が非常に興味深い考察をされておられます。

まず、「仏性内在論」において、「人から諸法へ」という迷いの方向性があるということについてでございます。もともと人に内在している仏性から、それ以外 の諸法(モノ・コト、事象・現象)というものは、煩悩(妄想・妄心・妄念・執着)の対象、あるいは原因となっているという捉え方があるというものです。

そのため、仏性以外の一切は、迷い苦しみをもたらす原因であるとして、思考というものもその中に包摂されてしまうことになります。この考え方には、思考・ 思慮・思念、言語活動・コトバの世界、分別・戯論というものは「悪」であり、不思不観・無念無想、言語道断、無分別・離戯論は「善」という捉え方が控えて おり、そのため、修行においても後者を目指して取り組むことへと繋がってゆくこととなってしまいます。

次に、「仏性顕在論」は、「諸法から人へ」という悟りの方向性があるということについてでございますが、この場合、煩悩(妄想・妄心・妄念・執着)を持っ てしまって迷い苦しんでしまっている人から、既に仏性として顕現している諸法(現象的な個々の事物)に悟りを求めるべきであるという考え方となります。

つまり、迷い苦しみにある人が、既に悟っている諸法(現象的な個々の事物)へ悟りのあり方を目指していくということとなり、そのため、人間と諸法(現象的 な個々の事物)との違いを考えますと、やはり人間活動における思考・思慮・思念、言語活動・コトバの世界、分別・戯論は、悟りの妨げとして、「悪」と見な され、不思不観・無念無想、言語道断、無分別・離戯論は「善」という図式が成り立つことになるわけであります。

このように、「思考の停止」というものを目指すことが、やがて仏教の目指すべき最高の目的となってゆくと、基本的な仏教の教説(四法印、四聖諦、縁起・空 の考え方、慈悲行、利他行、六波羅蜜行など)さえもが、簡単に破壊されていくという弊害が生じることにも繋がっていってしまいます。また、この「思考の停 止」を目指すという考え方が起こった背後には、更に「無分別知」こそが、最高の境地、悟りの知であるという誤った概念が当時の仏教界において蔓延していた ことも大きな要因として考えられています。

この「思考の停止」・「無分別知」を目指すという誤った考え方は、長らく仏教思想史上において強力な勢力を占めることとなってしまうわけですが、その見直 し、是正を目指す動きが起こったのは、インドでも、また、中国でもなく、チベットの地において、「サムイェーの宗論」という、一大宗教論争が端緒となって 現れることとなります。いわゆる、「如来蔵思想 VS 中観思想」でありますが、しかし、ここで完全に決着が付いたというわけではなく、その後においても議論は展開されてゆくこととなります。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

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余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
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集中的に再読していく論著集

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
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「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
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「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
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施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
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施本「仏教・空の理解」
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施本「佛の道」
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2010/10/07(Thu)
「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5

さて、今回は更に「仏性内在論」と「仏性顕在論」における問題点について考えて参りたいと存じます。

松本氏は、禅思想の本質をなす基本的論理には、人間の思考を一切の迷妄と苦しみの根源として根源悪と見なし、「思考の停止」を迷妄と苦の消滅の因として説くという考え方があると述べられています。

では、どうして人間の思考が、一切の迷妄と苦しみの根源であるという考え方が生じるのかということに関して、如来蔵(仏性)思想の「仏性内在論」と「仏性顕在論」における、迷いの方向と悟りの方向について松本氏が非常に興味深い考察をされておられます。

まず、「仏性内在論」において、「人から諸法へ」という迷いの方向性があるということについてでございます。もともと人に内在している仏性から、それ以外 の諸法(モノ・コト、事象・現象)というものは、煩悩(妄想・妄心・妄念・執着)の対象、あるいは原因となっているという捉え方があるというものです。

そのため、仏性以外の一切は、迷い苦しみをもたらす原因であるとして、思考というものもその中に包摂されてしまうことになります。この考え方には、思考・ 思慮・思念、言語活動・コトバの世界、分別・戯論というものは「悪」であり、不思不観・無念無想、言語道断、無分別・離戯論は「善」という捉え方が控えて おり、そのため、修行においても後者を目指して取り組むことへと繋がってゆくこととなってしまいます。

次に、「仏性顕在論」は、「諸法から人へ」という悟りの方向性があるということについてでございますが、この場合、煩悩(妄想・妄心・妄念・執着)を持っ てしまって迷い苦しんでしまっている人から、既に仏性として顕現している諸法(現象的な個々の事物)に悟りを求めるべきであるという考え方となります。

つまり、迷い苦しみにある人が、既に悟っている諸法(現象的な個々の事物)へ悟りのあり方を目指していくということとなり、そのため、人間と諸法(現象的 な個々の事物)との違いを考えますと、やはり人間活動における思考・思慮・思念、言語活動・コトバの世界、分別・戯論は、悟りの妨げとして、「悪」と見な され、不思不観・無念無想、言語道断、無分別・離戯論は「善」という図式が成り立つことになるわけであります。

このように、「思考の停止」というものを目指すことが、やがて仏教の目指すべき最高の目的となってゆくと、基本的な仏教の教説(四法印、四聖諦、縁起・空 の考え方、慈悲行、利他行、六波羅蜜行など)さえもが、簡単に破壊されていくという弊害が生じることにも繋がっていってしまいます。また、この「思考の停 止」を目指すという考え方が起こった背後には、更に「無分別知」こそが、最高の境地、悟りの知であるという誤った概念が当時の仏教界において蔓延していた ことも大きな要因として考えられています。

この「思考の停止」・「無分別知」を目指すという誤った考え方は、長らく仏教思想史上において強力な勢力を占めることとなってしまうわけですが、その見直 し、是正を目指す動きが起こったのは、インドでも、また、中国でもなく、チベットの地において、「サムイェーの宗論」という、一大宗教論争が端緒となって 現れることとなります。いわゆる、「如来蔵思想 VS 中観思想」でありますが、しかし、ここで完全に決着が付いたというわけではなく、その後においても議論は展開されてゆくこととなります。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

・・

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
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「非有・非無の中道」について
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「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
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教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
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ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
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「苦楽中道説について」補足
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中観帰謬論証派の学びのススメ
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これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

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2010/10/05(Tue)
余談「批判的思考の必要性について・1」

さて、最近は、批判宗学・批判仏教で高名なる松本史朗氏の著書を集中的に再読させて頂いております。

松本史朗氏の著書は、「縁起と空 如来蔵思想批判」・「チベット仏教哲学」・「禅思想の批判的研究」・「道元思想論」・「法然親鸞思想論」と持っておりまして、間もなく「法華経思想論」は購入予定でございます。



この中で、最近に読み始めましたのが、「禅思想の批判的研究」・「道元思想論」でございます。まだ、読んでいないのが、「法然親鸞思想論」・「法華経思想論」です。

「縁起と空 如来蔵思想批判」・「チベット仏教哲学」は、私が「縁起と空」の思想について真剣に考え始めるきっかけを与えて頂きました論著でありまして、特に「チベット仏教哲学」は何度も読み返して理解に努めているところでございました。

なぜ、私が松本史朗氏の論著集に惹かれるのかと申しますと、一つは真摯なる学究姿勢、そして、もう一つが、その批判的視座にあります。

何事においても批判的視座が必要であると痛感しますのは、私も含めて、人間・人類、または組織・体制、社会は基本的に少なからず怠惰へと向かう傾向があ り、強欲・傲慢・堕落・独善・自己満足・自己都合・偽善へと安易に陥りやすいのは、世の常であります。何事においてもバランス、均衡を保つためにも、常に 批判・反省・評価検証が求められるものであります。それは、宗教においても同様であり、仏教においても必要なものであります。

時に、習慣・風習・伝統などにおいて、時代の流れ・変化などに対応して改革していかなければならないことを、習慣・風習・伝統であるということを錦の御旗 として、あまり深くは考えずに見直すこともなく、安易に受け入れて踏襲していくことによる怠惰・強欲・傲慢・堕落・独善・自己満足・自己都合・偽善へと陥 る弊害は、よく見受けられることであります。

例えば、宗教の場合は、特に神秘的・密教的・呪術的な要素を扱うことがあれば、それらはある意味では万人を納得させることが容易ではなく、証明のほとんど 効かないようなことを非合理的で曖昧な領域において展開されていくことがあります。そのため、宗教における神秘的・密教的・呪術的な行為というものは、盲 目的・無批判的な信仰・崇拝・狂信・病的執着を生み出しやすく、様々な弊害をもたらしてきたことは、過去にあまたの例があります。

また、宗教における神秘的・密教的・呪術的な行為は、その行き過ぎにより犯罪・詐欺的行為へと結びつく可能性も非常に高く、実際に問題になることも多々で あり、また、表面化してこないことで、潜在的に非常に曖昧なグレーゾーンの領域において受容・許容されていることもたくさんあります。

とにかく、宗教においても、怠惰・強欲・傲慢・堕落・独善・自己満足・自己都合・偽善へと陥る弊害を抑えて、また、神秘的・密教的・呪術的な行為の行き過 ぎによる被害・犠牲を回避するためには、常に自己・相手・第三者による評価検証・監視・批判が必要であると考えています。

最も望ましいのは、自己評価検証・自己批判・自己反省ができるように自己統制力・自己制御力・自浄力が充分に養えれば良いのですが、そうもいかない場合は、やはり第三者によって行われることも必要となりますでしょう。

そのあたりのところを松本史朗氏の批判宗学・批判仏教における批判的視座から学ぶことができるように存じておりまして、私が松本氏の論著集の内容に惹かれる一番の要因でもあります。

続く・・

・・

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
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「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
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2010/10/01(Fri)
「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4

では、次に「仏性顕在論」における問題点につきまして考えて参りたいと存じます。

「仏性顕在論」は、現象的な個々の事物に仏性が全面的に現れている。現象的事物そのものを仏性と見る考え方であります。「仏性内在論」よりか、「発生論的一元論」・「生成流出論的根源論」・「絶対的一元論」な要素が濃くあります。

「仏性顕在論」における修行においては、あらゆる事物・事象・現象そのものが、「仏性」の顕現であるとして、そのままで顕在している「仏性」が「仏性」と して顕現していることを証・覚・悟することによって、涅槃へと至ろうという考え方となりますが、前回にも少し触れましたように、「仏性顕在論」の問題は、 「修行不要論」へと容易に傾斜しやすいのと、修行必要論を説いたとしても、修行の内容が、神秘的・密教的な自然観に基づいたものとなっていく傾向がありま す。それは、あらゆる事物・事象・現象そのものが、「仏性」の顕現であるとするならば、煩悩にまみれている「有情(人)」よりか「無情(山川草木・瓦礫・ 自然界の事物)」の方が悟っているとして、「無情」のあり方を目指して、例えば、禅定(坐禅)修行が、「不思不観・無念無想」・「戯論寂滅」・「言語道 断」・「無分別」・「不二」といった「思考の停止」へと陥ったり、または、三昧修行(念仏・唱題などの専修行)の神秘化・密教化が目立ってしまうようにな るなど、弊害が顕著となってしまうということであります。

また、「仏性顕在論」においては、「一切にことごとく仏性が有る」ということが、基本的な考え方でもあります。そのため、全てもう既に悟っているのであれ ば、「修行不要論」となるのは必然であり、また、「仏教不要論」にも至ってしまうものとなってしまいかねません。もちろん、「修行不要論」・「仏教不要 論」を回避するために、如来蔵思想(仏性思想)において、何らかの修行体系を確立させて、「仏性」の顕れを修めるべくに「仏性修顕論」を説くことに苦心す る場合もありますが、その論理一貫性を保つのは非常に難しいのも歴然としています。

とにかく、如来蔵思想(仏性思想)における根本的な問題は、究極的な真理としての基体(基本・基底・基盤・根本・根底・根源など本質体)というものが、 「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」としてあるのだとするところにあります。何らとしてそのような絶対的存在、超絶的・超越的存在、究極的存在は見 当たらないということを真に理解するためにも、深遠なる縁起の理法をしっかりと学ぶことが求められることとなります。

大乗仏教における各宗派の展開においては、如来蔵思想(仏性思想)を大なり小なり受容している場合が多く、少なからずも神秘的・密教的な修行や作法に基づ いた法要・儀式・行事が伝統的に踏襲されていることはあるのではないかと存じます。それは、それらの基本となっている考え方として、「仏性顕在論」的な要 素・性質が控えているものであるからということが考えられます。

さて、引き続きまして次回も「仏性顕在論」の問題点について考えて参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

・・

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・3

引き続きまして、「道元思想論」の内容に関しまして、著者の松本史朗氏は、論著の中で、如来蔵思想を「仏性内在論」と「仏性顕在論」との二つの定義を仮説されました。

では、「仏性内在論」と「仏性顕在論」、それぞれ一体、何が問題となっているのかにつきまして、今回は考えて参りたいと存じます。

まず、そもそも如来蔵思想(仏性思想)の抱えている最大の問題は、「如来蔵・仏性」(仏となる性質・本質・本性)というものの扱いにおいて、それらを「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」として立論してしまう懸念であります。

松本氏の根本的な視座は、「如来蔵思想(仏性思想)は、基体説である」として、その「基体説」から展開されている様々な仏教における教説を批判・否定されているところにあります。

基体説とは、究極的な真理としての基体(基本・基底・基盤・根本・根底・根源など本質体)というものが、「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」として あるのだと想定・仮説した上で、それらから、あらゆる事物・事象・現象が生じていると説明する「発生論的一元論」・「生成流出論的根源論」・「絶対的一元 論」であります。

そして、仏教の目指す涅槃へ向けて、上記のような基体としての「仏性」というものを証・覚・悟することに精進努力することが仏道修行となります。また、そ の基体としての「仏性」をどのようにして顕現させるべきかという考え方ついて、「仏性内在論」と「仏性顕在論」においての相違があります。

「仏性内在論」は、私たちは、それぞれにおいて「仏性」というものを本来持っているものとし、その「仏性」を覆い隠してしまっている「煩悩(妄想・妄心・ 妄念・執着)」によって、迷い苦しみを輪廻してしまうため、その「煩悩」を取り除き、もともと持っている「仏性」を顕現させることによって、輪廻からの解 脱を図り、涅槃へと至ろうという考え方であります。

「仏性顕在論」は、あらゆる事物・事象・現象そのものが、「仏性」の顕現であるとして、そのままで顕在している「仏性」が「仏性」として顕現していることを証・覚・悟することによって、涅槃へと至ろうという考え方であります。

「仏性内在論」は、「仏性」と「煩悩」という二元論を扱います。簡単には、「きれい」と「きたない」と言えます。「きたない」に覆われて隠された「きれ い」を「きたない」から取り除くことが大切となりますが、「仏性内在論」においては、そもそも相反するもの同士が混在していること自体に矛盾があり、ま た、「仏性」は「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」であるが、「煩悩」は、そうではなく、取り除くことができるもの、滅することができるものという ことでは、ご都合主義も良いところとなってしまいます。

また、「無常なるものは苦である」という仏教の基本的な考え方からすれば、「仏性」は「常」で、「煩悩」は「無常」となります。「煩悩」は「常」ではな く、なぜに「無常」であると説明するのかというのは、もしも「無常」でなければ、取り除くこと、滅することもできないこととなってしまうからであります。 そして、「無常・苦」なるものを「悪」とすれば、「仏性=善」、「煩悩=悪」という図式として、「煩悩=悪」なるものを徹底的に排除していくということに なります。

そうすると、常ではない無常なるものは迷い・苦しみをもたらす悪なるものだから無くせば良いとして、無常なるものは何かと、身体(肉体)・心(思慮・思 考・概念・分別)だと、あれもこれもと徹底的に排除していくべきものを挙げていき、その結果として、身体(肉体)を極端にいじめ、更に心も極端にいじめて ゆく修行へと至っていってしまったりする例が、重傷・瀕死となるような「難苦行」であったり、または、禅定における「不思不観・無念無想」であります。更 に極端な例は、身体も心も無常は無常なるもので、なかなかどうにもならない、ならば、身体も心も捨ててしまえば、無常なるものは無くなるとして、「死ねば 良い」という考えに至ることにもなってしまいかねません。あるいは、いずれ死ねば、自然と「仏性」が顕現してくれるだろう、「仏性」がもともとあるのであ れば、「別に何もしなくても良い」・「好き勝手にしていれば良い」ということで、修行不要論・仏教不要論といった弊害も生み出してしまう危惧も控えていま す。これは、「仏性顕在論」においても言えることとなりますが、「仏性内在論」は基本的には、修行必要論を扱い、涅槃へ向けて、「仏性」を覆い隠してし まっているものを取り除こうとしていくことを目指していきます。

では、次に「仏性顕在論」における問題点につきまして考えて参りたいと存じます。

※現在進めております如来蔵思想(仏性思想)関連の考察は、あくまでも中観思想(帰謬論証派)の立場をいったん脇によけておいてのものでありまして、その点はあしからずにご了承の程を宜しくお願い申し上げます。

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「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770045.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1
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「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
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ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
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ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
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「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
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「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
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チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
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「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/

集中的に再読していく論著集

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
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施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
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施本「仏教・空の理解」
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